平昌パラリンピック山本篤選手のスノーボード経歴は無し?陸上銀メダリストの挑戦

2018年平昌パラリンピックで、最も気になる選手がいます。

スノーボード代表・山本篤選手。35歳。

過去2回のパラリンピックで、3回メダルを受賞しているベテラン選手です。

ただし、陸上競技で、なんですよ。

 

冬季パラリンピックは初出場

なぜ、陸上選手がスノーボードに挑戦するのか?

平昌パラリンピック、どうなっちゃうのか?

気になる要注目のアスリートです。

(トップ画像:http://theborderless.jp/3525/

山本篤選手のプロフィールと経歴(陸上の方)

出典:http://www.jsad.or.jp/paralympic/

生年月日:1982年4月19日

出身:静岡県掛川市

身長:167cm

所属:スズキ浜松アスリートクラブ

特徴:左足が義足

 

山本選手は、小学校の時は野球少年。

中学・高校はバレーボール部に所属していました。

高校2年生の時に、スクーターの事故で左足を失い、義足になります。

そこから義足装具士を目指し、名古屋の日本聴能言語福祉学院に進学しました。

 

学院で出会った、義足スポーツ研究者の稲葉さんに勧められ陸上競技の世界へ進みます。

 

2002年、20歳で日本身体障害者陸上競技選手権大会に初めて出場。

100mの記録は、17秒36でした。

大会出場を重ね、アテネパラリンピックに挑戦するも、代表に届かず。

2004年3月時点で、義肢装具士の資格を持ち、就職も決まっていながら、パラリンピックを目指すことを決意します。

 

2004年4月、大阪体育大学体育学部に入学。

健常者と同じ陸上競技部に所属しました。

恩師の伊藤先生とは、ここで出会ったんだと思うんですが。

同じ静岡出身で、スポーツバイオメカニクス研究をしている伊藤先生と出会い、山本選手はどんどん記録を伸ばしました。

大学1年生の時から、研究データを取り、理論とトレーニングを重ねていったのが、強くなれた秘訣だとインタビューで語っていました。

 

2008年、スズキ株式会社に入社。

同年、北京パラリンピックで、走り幅跳び・銀メダルを獲得。

日本人では、義足アスリートで、陸上界初メダリストになります。

 

2016年リオパラリンピックでは、走り幅跳びで銀メダル、400mリレーで銅メダルを獲得しています。

 

陸上界で輝かしい成績を残し、記録を塗り替えまくってきた山本選手。

では、平昌で出場するスノーボードの経験・実力はというと…

 

 

山本篤選手のスノーボード歴は?

山本選手が平昌パラリンピック・スノーボード出場を目指すと発表されたのが、2017年1月。

わずか、1年ちょっと前なんです。

 

国内のスノーボード大会に出たのが、2017年2月。

白馬乗鞍温泉スキー場で開催された、障害者スノーボード選手権大会でした。

結果は、優勝!

 

今季はW杯代表にも選ばれ出場し、国際パラリンピック委員会(IPC)の招待枠により平昌での出場が決まりました。

 

陸上選手なのに、スノーボードもできるのはなぜか?

もともと、山本選手はスノーボードが趣味だったそうです。

義足になってから最初に始めたスポーツが、実はスノーボードでした。

経験無しではなかったんですね。

では、なぜ最初からスノーボードでパラリンピックを目指さなかったのか?

 

スノーボードって、パラリンピックの種目になかったんです。

2014年のソチパラリンピックから追加された種目だったんですね。

そっちは全然間に合わなかったため、平昌での出場を目指すことにしたそうです。

 

山本選手にとっては、スノーボードで挑戦するのは、アスリートとして自然の流れだったのですね。

私ら一般人からすれば、陸上のメダリストが冬季も挑戦!すげー!って思うわけですが。

 

 

平昌パラリンピック・スノーボード日本代表選手

スノーボードに出場する日本選手は、山本選手を含め3名です。

  • 小栗大地(おぐり だいち)選手
  • 成田緑夢(なりた ぐりむ)選手
  • 山本篤(やまもと あつし)選手

日程は、3月12日と16日

 

スノーボード代表だと、成田緑夢選手が有名ですね。

成田童夢選手、今井メロ選手の弟さんの。

マスコミにも注目されそうですよね。

私は断然、山本篤選手に注目していますが!

小栗選手も37歳と、3人の中で最年長なので頑張って欲しいです。

ほんと、自分が30歳すぎたら体力の低下が…

30歳オーバーのアスリートは心から尊敬しますよ。

応援してます!!