ロシアの妖精、ユリア・リプニツカヤ選手。
かわいい外見とは裏腹に、発言はけっこう厳しい。
バッサリ切り捨て、強気の発言。
そんなギャップが、好きなんですけどホントは、とっても努力家の実力高い選手です。
ユリア・リプニツカヤ選手のプロフィール
代表国:ロシア
生年月日:1998年6月5日 現在16歳
出生地:ロシア スヴェルドロフスク州エカテリンブルク
身長:160 cm
趣味:乗馬、料理、手芸、絵画
コーチ:エテリ・トゥトベリーゼ
セルゲイ・デュダコフ
所属クラブ:Sambo 70
可愛らしい容姿から、ロシアの妖精と呼ばれています。
愛称はユーリャ。
趣味は乗馬で、馬を飼っているそうです。
しかし、外見からは予想外の強気の発言が多く、
「ツンデレ」「女王様」なんて言われたり(笑)
「良い練習ができました。メディアが邪魔でしたけど」
「今どき誰が正確にルッツを飛ぶの」
「一度もフィギュアに興味を持ったことはない。
時間ができたら映画を鑑賞する」
などなど、かなり勝ち気で
はっきりものを言う性格のようです。
ですが、
「真央選手が世界一強いと思います。
特に滑りのなめらかさが綺麗で、尊敬しています。
とても大好きな選手です。」
と、浅田選手への憧れを話したり、
鈴木明子選手について、自分の倍の年齢の選手と競うことに
「特に何も」と応えたあとで、鈴木選手をわざわざ呼び止め
「アキコのことは選手として、とても尊敬しています。
たださっきの質問はまったく予想していないことだったので、
なんと答えていいのかわからなかったの」
と誤解をとこうとし、
鈴木選手もそれに対し、「そうですか」と嬉しそうに微笑んだそうです。
根は素直な、16歳の女の子なんだな~と思ったエピソードでした。
成績は、世界ジュニア選手権で優勝。
まだ16歳ながら、ソチオリンピック団体では金メダルを獲得。
柔軟性と高い技術を武器に、2014年のGPシリーズでは中国大会、フランス大会で共に2位。
GPファイナル出場権を獲得しています。
ロシア勢の対決が非常に楽しみですね。
リプニツカヤ選手の母親と生い立ち
フィギュアスケートはお金がかかるスポーツです。
そのため、リプニツカヤ選手は相当苦労したようです。
リプニツカヤ選手が生まれたとき、母親のダニエラ・リプニツカヤさんは、まだ18歳でした。
ダニエラさんは正式には結婚はしておらず、未婚の母として、リプニツカヤ選手を産みました。
リプニツカヤ選手の父親はロシア軍に徴兵され入隊。
その後蒸発し、現在は行方不明。
リプニツカヤ選手は4歳のとき、スケートを始めます。
10歳の時、スケートのエリート養成学校に入るため母親のダニエラさんは、彼女をモスクワへ出すことにしました。
モスクワに出た頃は経済的に苦しく、車の中で生活していた時期も。
学校へは通わずに、通信教育を受けていたそうです。
リプニツカヤ選手の最初のコーチは、彼女の母、ダニエラさんを
「モスクワに引越しまでして、フィギュアスケートを教えたいという
決定を下した彼女の母親は、まさに英雄」
と評価しています。
厳しい境遇にもめげず母娘で頑張ってきたからこそ、あの強気な発言と、美しい演技があるんですね。
ストイックな彼女の練習量はハンパじゃなく、ロシアのフィギュアスケート連盟の元会長が心配して、ストップをかけたほど。
今の地位に上り詰めるまでにいかに努力が必要だったのかがうかがい知れます。
脅威の柔軟性「キャンドルスピン」
リプニツカヤ選手だけの武器として「キャンドルスピン」があります。
片足を高く両手で持ち上げて回転するビールマンスピンという技ですが、リプニツカヤ選手は180度足を開いて高く上げた姿が、完璧に体が一本になるため「キャンドルスピン」と呼んでいます。
この柔軟性は母親のダニエラさんが赤ん坊の頃からストレッチを施していたそうですよ。
リプニツカヤ選手の努力もものスゴイですが、母親の教育にかける情熱も、ものすごいですね。
(2017年8月29日 追記)
19歳という若さで、引退を表明されました。
摂食障害の治療で、ヨーロッパにいたそうです。
引退発表は帰国直後ということ。完治されたんでしょうか?
リプニツカヤ選手は、ものすごい努力と、美しい演技で素晴らしい時間を提供してくれました。
摂食障害ということは、精神的に追い詰められていたのだと思われます。
引退後は、幸せに、自分の道を歩んで欲しいと思います。
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