高倉健と江利チエミの関係が切ない・・・映画『鉄道員(ぽっぽや)』

2014年11月10日、俳優の高倉健さんがお亡くなりになりました。

205本もの作品に出演し、多くの人々に影響を与えた高倉健さん。

その中でも、特に好きだった『鉄道員(ぽっぽや)』について、その魅力と、高倉健さんの一番好きなエピソードをご紹介します。

(トップ画像:http://topicks.jp/4504)

 

高倉健さんの『鉄道員(ぽっぽや)』テーマソングの秘密

鉄道員(ぽっぽや)あらすじ:

北海道の廃止寸前のローカル線、その終着駅「幌舞駅」の駅長を務める高倉健。

1人娘を亡くした日も、愛する妻を亡くした日も、駅に立ち続けた男。

定年退職を目前の鉄道員と、鉄道ファンの少女との、優しい交流を描いた作品・・・。

 

ぽっぽやの中で、「テネシーワルツ」が流れるんですよね。

テーマソングとして、電車が入ってくるときに、何度も。

あの曲は、高倉健さんの奥さんだった江利チエミさんの代表曲。

 

高倉健さんと江利チエミさんは、離婚しています。

鉄道員(ぽっぽや)公開時には、江利チエミさんが亡くなられて10年以上たっているんですね。

鉄道員(ぽっぽや)の打ち合わせで、スタッフとキャストがテーマソングの候補をあげてた時に高倉健さんが、「テネシーワルツ」と言ったそうです。

 

その時は、まさか高倉健さんも採用されるとは思わずに、つい本音が出てしまったんでしょうか。

降旗康男監督がテーマ曲を「テネシーワルツ」にするって言った時、高倉健さんは

「そんな個人的なこと、まずいんじゃないですか……」

と言ったきり、黙りこくったそうです。

 

鉄道員(ぽっぽや)公開時のコメントでは、高倉健さん

「テネシーワルツが聴こえてくると、未だにドキッとする」

と言ってます。

 

江利チエミさんの命日には、欠かさずお線香を送っているという高倉健さん。

お二人の関係がとても切ないです。

 

江利チエミさんが亡くなられたのは、2月13日でしたが、

お葬式は2月16日だったそうです。

高倉健さんのお誕生日も、2月16日

江利チエミさんとの結婚式も、2月16日

不思議な偶然ですが、運命的な何か繋がりもあるような気がしますね

 

再婚せずに、ずっと江刺チエミさんのお墓参りを欠かさなかった高倉健さん。

人柄と想いが感じられます。

 

高倉健さんの奥様、江利チエミさんとは?

 

1937年(昭和12年)〜1982年(昭和57年)

15歳の時、「テネシーワルツ」「家においでよ」でレコードデビュー。

レコーディング時は14歳だったのため『14歳の天才歌手』としてデビュー。

翌年にはアメリカのヒットチャートランキングに入り、ロサンゼルスなどのステージで歌うなど、日本人として初めての快挙を成し遂げた方です。

 

美空ひばりさん、雪村いづみさんと共に『3人娘』と称され、一世を風靡しました。

22歳の時、高倉健さんと結婚。

デビュー時から毎年紅白歌合戦に出演。

26歳の時には、紅白歌合戦の司会を2年連続で務めます。

34歳の時に離婚。

1980年に、デビュー30周年を記念したリサイタルが行われます。

そして1982年2月13日、45歳という早すぎる若さでお亡くなりになりました。

死因は、脳溢血による窒息死だったそうです。

 

天才歌手と呼ばれ、映画や舞台にも活動を広め、高倉健さんと共演後、ご結婚。

大スターとして45歳という若さで急逝するまで、短い人生は波乱万丈だったそうです。

 

高倉健さんとの離婚の理由は、よく分かりませんでした。

高倉健さんは、ご自分のプライベートをあまり語らない寡黙な男

そこがまた、魅力でもありますね。

 

お二人のご冥福を、心よりお祈り申し上げ、「鉄道員(ぽっぽや)」を

もう一度見たいと思います。

 

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