4月4日は「あんぱんの日」ですよ。
ども。生クリームあんぱんが食べたくてしょうがない今日この頃です。
なぜ、4月4日が「あんぱんの日」なのかというと、あんぱんが日本で初めて売り出された日!
・・・ではなくて、明治天皇にあんぱんを献上した日なんですって。
では、なぜあんぱんを売り出した日ではなく、天皇が召し上がられた日を「あんぱんの日」にしたのか?
そこには、ちょっといいお話がありました。
日本あんぱん誕生秘話!
時は明治、文明開化の時代です。
茨城県牛久市出身の、木村安兵衛という武士がおりました。
安兵衛はお家が幕府側だったため、明治維新後はその職を解かれ、失業してしまいました。
すでに齢55歳。しかも安兵衛は結婚するのが遅かったので、まだ子供たちは独立しておらず、家族を養わねばなりません。
生活に困った安兵衛は、親類を頼って江戸に上りました。
江戸でようやく就いた職が、「東京府職業授産所」の職員でした。
今でいう、ハローワーク兼職業訓練校みたいなもんです。
ここで安兵衛は梅吉という人物と出会います。
彼は長崎でオランダ人宅のコックをしていたそうで、安兵衛は「パン」なるものの存在を知ります。
「これからは、文明開化の時代となる。」
そう考えた安兵衛は、妻の貯金を使って、パン屋を開きました。
明治2年のことでした。
妻の「ぶん」と息子の「英三郎」から文字をとって、「文英堂」という名のパン屋でした。
しかし、この年の大火で店は全焼。
一家は無一文になってしまいます。
それでも後には引けぬと、安兵衛は銀座に小さな店を借り、再びパン屋を開きます。
しかし、当時の銀座は倉庫街のような閑散とした場所でした。
人通りも少なく、思うようには売れません。
売るには工夫が必要でした。
屋号を「木村屋」に変え、安兵衛は息子の英三郎と日夜パン作りに没頭しました。
最初はふっくら柔らかなパンを作ろうとしました。
作ったパンを食べた人は、みな美味しいと言ってくれました。
しかし、当時の日本ではパンを食べる習慣がありませんでした。
そこで安兵衛は考えました。
「パンの作り方を変え、ホップではなく麹を使って、和風のパンにしたらどうか。
和風パンの中には、小豆のあんを入れた「あんぱん」を作ってはどうか。」
こうして「あんぱん」が誕生しました。
ある日、山岡鉄舟が木村屋にやってきました。
山岡鉄舟は明治維新で江戸城無血開城に一役買ったすごい人です。
山岡鉄舟は西洋のパンと、日本の和菓子をコラボレーションした「あんぱん」にえらく感動しました。
そして、明治天皇が水戸藩の下屋敷でお花見をする際に、お茶菓子として献上することになりました。
安兵衛と英三郎は、奈良の吉野山から八重桜の花びらの塩漬けを取り寄せ、あんぱんに埋め込みました。
日本の国花であり、季節感を表現できるようにと。
桜の塩漬けは酒種パンとあんこの甘味によくあい、天皇両陛下に大層気に入られたそうです。
そして、
「引き続き納めるように」
とお言葉を頂いたそうです。
以来、店頭にも桜あんぱんが並びました。
明治天皇に桜あんぱんを献上した4月4日は、2001年に日本記念日協会の承認を得て「あんぱんの日」になったそうです。
酒種とイーストの違い
さて、パンを作るときイースト菌を使うのが一般的かと思います。
イースト菌はスーパーなんかでも簡単に手に入りますよね。
イースト菌っていうのは、酵母の一種です。
自然界に存在する酵母菌の中から発酵力の強い菌を選び、抽出して純粋培養しているものです。
短時間に安定して発酵をさせるために、人工的に生み出されたものなんですね。
自然の酵母はそうはいきません。
相手は微生物、生き物です。
強いやつ、弱いやつ、いろんな菌がいます。
温度・湿度・糖分・環境によって毎日発酵の具合が違い、扱いが難しいのです。
お酒はワインでも日本酒でもビールでも、職人さんっていますよね。
毎日変わる酵母の発酵具合を見極め、同じ味を作るってのはそれだけ難しいからなんですね。
で、木村屋さんが使っている酒種ってやつは、そういう類の酵母だってことです。
酒種は、自宅でも作れます。
麹を買ってきて、発酵させればいいです。
どれくらい発酵させるかとか、どうやってパンにするかとかも、検索すればすぐ出てきます。
意外と簡単に(毎回同じにするのは難しいですけど)できますよ。
パンにしなくても、どぶろく作ってもいいですし。(売ってはいけませんけどね。)
蛇足ですが、4月4日は「おかまの日」でもあるそうですよ。
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