アメリカで29歳の女性が、脳腫瘍を患い安楽死することを公表し話題になってますね。
果たして、「生きる」ことは義務なのか?
「死ぬ」権利はあるのか?
大きな疑問を投げかけるこの事件は、医療先進国の日本でも他人事ではありません。
そこで、日本では安楽死はできるのか?
安楽死を認めてる国について調べてみました。
安楽死は2種類ある。
まず、安楽死には『積極的安楽死』と『消極的安楽死』があります。
積極的安楽死というのは、本人の要求があって安楽死させることです。
消極的安楽死は本人が意思表示不可の場合に、家族などが延命措置を望まない場合のことです。
日本で安楽死は可能か?
日本では延命治療の場合に、尊厳死を選ぶという話を聞くことがあります。
延命治療とは明確な定義がないそうですが、治療しなければ死に至る病気における治療についてを指すようで人呼吸器や輸血、心臓マッサージなども入るそうです。
治る見込みがなく、延命措置を施さなくては生命活動を維持できない状態で、本人が意思表示できない場合に、家族が延命措置をせず尊厳死を選ぶことはできるようです。
ただし、日本の法律では、本人が意思表示可能で延命を望まない場合でも、尊厳死を選ぶことはできず、もし承諾し、医師が措置を施せば刑法上、殺人罪の対象となってしまうそうです。
つまり、日本では自分の意思による安楽死は不可能ということです。
自分が安楽死したい場合、意識不明になったら延命措置しないでください、という遺言状でも残しておけばいいのでしょうか?
あんまり意識無くて回復の見込みもないのに、コードつないで生き続けるのも、自分なら嫌だなぁと思ってしまいますが・・・。
海外では安楽死は認められている?
今回のニュースでは、アメリカ人の女性は安楽死するためにオレゴン州に転居したそうです。
アメリカはとっても広いので、州ごとに法律が違います。
オレゴン州とワシントン州が安楽死(正確には積極的安楽死)を認めているそうです。
他にも、スイス・ベルギー・オランダ・ルクセンブルクが安楽死を認めています。
中でもスイスは最も早く1942年から安楽死が認められており、安楽死を望みスイスに渡る『スイス安楽死ツアー』なるものまであるとか。
「生きる」ことは『権利』か『義務』か?
人は誰もが死にます。死に方くらい選びたいと思う気持ちも分かります。
しかし、誰かが死ぬのを助ける側の気持ちはどうなのでしょう?
今回のニュースを聞いたとき、真っ先に森鴎外の「高瀬舟」を思い出しました。
安楽死で思い出す方は多いのではないでしょうか?
死ねずに苦しんでいる弟を殺した罪で護送される喜助の顔は晴れやかだったと森鴎外は書いていますが、現実はどうなのでしょう?
もちろん、死ぬ側も死なせる側も、その時その時の状況で違いますから一概に何が良いとか悪いとか言えません。
与えられた命をギリギリまで生きることが正しいのか?
苦しみ死を待つだけの人間を、人手と金を使って生かすことが正しいのか?
明確な答えは出ないのでしょう。
それでも、今回のニュースでは安楽死を望む女性はまだ29歳で新婚で、もし医療が進めば完治できる可能性もあるのではないかと考えてしまいます。
残り何十年も苦しい想いをして生きることになるかもしれないのいも事実です。
それでも・・・大事なのはご本人の意思なのでしょうか?
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