藤田伝三郎とは?藤田財閥創始者が欲しがった香炉って?

   

出典:http://www.bell.jp/pancho/k_diary-16/2015_09_09.htm

財閥創始者といえば、岩崎弥太郎さんくらいしか知りませんでした。

日本には教科書に載ってないけど、すごい財閥創始者がたくさんいたんですね。

その中の一人、藤田財閥創始者の藤田伝三郎さん。

商業的にもすごいんですが、骨董収集にかける情熱がまたスゴイ。

そのコレクションの数々を収蔵しているのが藤田美術館。

世界に4点しかないといわれる「曜変天目茶碗」をはじめ、国宝が9点もあるそうですよ。

 

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藤田伝三郎の経歴

生年月日:1841年7月3日(天保12年5月15日)

没年月日:1912年3月30日(満70歳で死去)

出身:山口県萩市

 

酒屋の4男坊として生まれた、藤田伝三郎。

高杉晋作の生家から、徒歩5分程度のご近所さんだったようです。

幼少の頃は勉強家で、奉仕精神にあふれ、困っている人を助けることが多かったそうですよ。

 

父親が10代の時に亡くなっており、若いころから家業の経営に携わって尽力していました。

幕末に騎兵隊に入っていたとか、いないとか。

ただ、高杉晋作を陰で援助していたみたいですね。

 

若いころの藤田伝三郎は、ヨーロッパへ行きたいという思いがあり、大阪に出て資金集めのために商売をしていました。

資金は集まったものの、ヨーロッパ行きの船がなくて、大阪にとどまっていたそうです。

そこへ声をかけたのが、井上馨や当時日本政府の中心人物たちだったそうです。

 

最初に請け負った仕事は、大阪の高麗橋を作るというもの。

これが、最初の事業と言われています。

この事業を足掛かりに、鉄道事業を始め、のちに阪堺鉄道に関わることになりました。

 

藤田さんが富を得たとされているのが、革靴です。

当時の軍隊さんは草鞋を履いていたそうです。

これじゃ、まずい。と思い革製品の会社を作りました。

西南戦争時に革靴が売れまくって、富を得たそうです。

その革靴会社は、いろいろあって、今は「リーガル」という靴の会社になっているそうです。

 

その後、土木事業を起こし、鉱山事業へ転化。

関西電力・琵琶湖汽船・阪堺電鉄・南海電鉄・リーガル・大阪毎日新聞と多くの企業を手掛け藤田財閥を築きました。

 

が、藤田伝三郎の息子・長男の平太郎が銀行業に手を出し、失敗。

世界的な経済恐慌のあおりを受けて、多くの会社を手放すことになってしまいました。

 

藤田財閥の中核となった会社は、現在「DOWAホールディングス株式会社」として残っています。

 

藤田伝三郎が死の間際まで求めた骨董

藤田伝三郎は骨董品の収集家で、お茶に傾倒していました。

 

明治の混乱期、日本の骨董品が海外に流出していくのを惜しんだ藤田さんは、寺院などに多額の寄付をし、お礼として石仏などを寄贈してもらってました。

 

まあ、おそらくお寺さんの骨董品を売ってもらってたってことですよね。

 

買い物のしかたも豪快で、古美術商人が藤田邸に骨董品を持ってくるのですが、すべて言い値で買っていたそうです。

その理由もスゴイ!

「これしか買わないと言えば同じようなもの ばかり持ってくる。

なので、全て買えばいろんな物を持ち 込むでしょう。」

ただし、藤田邸に入れる商人は限られていたようですが。

 

そんな藤田伝三郎さんが、死の間際まで欲しがったのが、「交趾大亀香合」

出典:http://fujita-museum.or.jp/toji04.html

出典:http://fujita-museum.or.jp/toji04.html

中国が明の時代に作られた、亀の形をした香炉です。

なぜ、その香炉が欲しかったのかというと、「田村文琳茶入」というお茶入れを入手していたんですって。

で、藤田さんが「交趾大亀香合」も入手したらお茶会をしようと、約束していたからだそうです。

 

香炉がオークションに出ると知った時、藤田さんは、病床に伏せっていました。

大阪の戸田商店さんに頼み、何が何でも落札するとして、9万円で落札しました。

今の価値で、億円

これは前代未聞の出来事で、「藤田家九万円で落札」と新聞の一面を飾ったそうです。

藤田さんは、香炉の落札の知らせを聞いてそのまま息を引き取ったとのことです。

香炉、実物を手に触れることはなかったのですね・・・。

 

藤田伝三郎の贋札事件とは?

 

一度、ニセ札を作ったとして捕まっています。

これは冤罪だったのですが、長州藩士の井上馨さんと仲が良かったため、薩摩藩士にはめられたのではないかとも言われています。

真犯人は、熊坂長庵という人らしいです。

まあ、冤罪ですぐに釈放されましたが、藤田伝三郎さんの世間のイメージが悪化してしまった事件でした。

そのせいか、その後に起こしたいくつかの会社で、藤田さんが社長になっていないものがあるそうです。

やっぱり、世間のイメージが悪いから経営には関わっても、表には出なかったのかもしれませんね。

 

幕末から明治の頃の財閥たちって、今でも活躍する多くの会社の前身を創ってきたきただけあって、人生がダイナミックですね。

 

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