『天皇の料理番』宇佐美シェフのモデルになった?「オランダの鎌さん」とは?

TBSドラマ『天皇の料理番』、面白いですね。

元厨房勤務としては、感情移入をついついしすぎて・・・。

第4話で、秋山篤蔵が宇佐美シェフのところを追い出されてしまいますが

この宇佐美シェフのモデルになったと思われる、実在したシェフがいます。

ドラマにも登場した「華族会館」の料理長を務め

当時の日本における西洋料理界の先駆者となったシェフです。

弟子を厳しく指導!渡邊鎌吉シェフ

渡邊鎌吉明治から昭和にかけてに活躍した西洋料理人です。

「華族会館」の料理長で、「中央亭」の創業者でした。

 

母親が外国人居留地で働いていた縁で、

渡邊鎌吉は10歳を過ぎた頃に横浜のオランダ公使館に務めることになります。

そこで、外国から運ばれてくる西洋の食材に興味を惹かれ

やがて調理場で働くようになり、コックの道へと進みます。

 

西洋料理を学ぶためにとフランス語を学び、

一方で世界の公用語が英語になりつつあった為、英語も勉強。

成人する頃には仏語・英語、

両方とも読み書き、話せるようになっていたそうです。

 

料理の才能もあり、20歳ころには腕前が周囲に知れ渡り

「オランダの鎌さん」と呼ばれていたそうです。

時同じくして、フランス公使館で名料理人として知られていた

「フランスの為さん」こと深沢為吉と並んで有名だったとか。

(渡邊鎌吉が勤めていたのは、英国公使館だったという説もありますが・・・。)

 

「華族会館」の料理長に就任!

1883年(明治十六年)、渡邊鎌吉は「鹿鳴館」の初代料理長に推薦されます。

「鹿鳴館」は当時の明治政府が、国家の威信をかけて建設した迎賓館。

初代料理長になるのは、相当名誉なことだったはずです。

が、なぜか渡邊シェフは断りました。

代わりに、同じくオランダ公使館でコックをしていた義弟の

藤田源吉「鹿鳴館」が初代料理長に推薦され、

渡邊シェフはサポートに回ったそうです。

 

その後、渡邊シェフは1889年(明治二十二年)に「華族会館」の料理長に就任。

後に、天皇の料理番となる秋山徳蔵さんがここで修行しますが

その頃には渡邊シェフは「華族会館」を去っています。

 

「中央亭」を創業!多くの有名料理人を輩出!

1899年(明治三十二年)、丸の内に三菱のオフィスビルが建設。

三菱総帥の岩崎弥之助をパトロンとして「中央亭」を開業します。

渡邊さんは経営者となり、初代料理長には大平茂左衛門シェフが就任しました。

 

当時の本格西洋料理店は一般人の来るレストランではなく、

政財界の高官達の宴席の料理を作る、

一流仕出し料理店という面が強かったそうです。

 

そんな「中央亭」は渡邊鎌吉さんの腕に憧れ、

精養軒・東洋軒で活躍し「天才」と謳われた林玉三郎さん、

ホテルニューオータニの初代総料理長となる小林作太郎さんなど

多くの名料理人が修行した場所でもあります。

 

渡邊鎌吉さんは、当時(今でもかも)には珍しく

怒っても決して弟子に手をあげることはなかったそうです。

しかし、料理のこだわり仕事への厳しさで有名な方でした。

渡邊さんの下では、弟子が3日ももたないとも言われていたそうです。

 

ある時、「中央亭」がイベントの食堂役を引き受けた際に

弟子達に任せたところ、大きな利益を上げて帰ってきたそうです。

弟子たちは当然、褒められるだろうと思っていたら

逆に渡邊さんは激しく怒り、

「利益が大きく上がるのは、それだけ料理の質を落としたからだ。

お前らは中央亭の信用を傷つけた!」

と言ったという逸話があります。

 

また、食材自体には金に糸目をつけませんが、

必ずいつも、自ら厨房のゴミバケツを点検し

食材を少しでも無駄にするコックはクビにしていたんだとか。

 

仕事に対して厳格で、料理の質へのこだわりを持った料理人だったのですね。

こういった彼の料理哲学は、料理長のイメージとして

現代にいたるまでの、数々の料理を扱った作品に影響している気がします。

 

渡邊鎌吉が宇佐美シェフのモデル?

『天皇の料理番』原作小説では、宇佐美シェフは、

「宇佐美シェフ」という名前で登場します。

2015年のドラマ版は、宇佐美鎌市」という名がついています。

小林薫さんが演じ、厳しくも真心のある篤蔵の師匠として描かれています。

(この方の演技に、毎回厨房時代を思い出し涙腺が緩まされます。)

 

「華族会館」は実在した場所で、現在も「霞会館」に名を変えて

旧家族の交流の場として残っています。

「華族会館」の料理長で名が後世に残るほど有名なのは

やはり、渡邊鎌吉さんです。

 

 

しかし、ドラマではなく実在した方の秋山徳蔵さんが「華族会館」で修行した時代に

料理長を務めていたのは「宇佐美シェフ」と呼ばれる人物です。

「宇佐美シェフ」も実在した人物なんですね。

しかし、彼に関するエピソードは残っておらず

2015年のドラマ版は小説の「宇佐美シェフ」と

実在した「渡邊鎌吉」の両方をモデルにしたのではないか?

と思うんですが、どうでしょうか?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です